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日本におけるフライフィシングの問題点 ["フライフィッシング"、って・・・]

・・・と、あえて言ってしまおう。

フライフィッシングが海外から入ってきたものとはいえ、未だにドメスティックブランドが浸透していないのはなぜなのか。

ティペットに使っているハリスと釣針、フロータントやフライパッチ、タイイング用の小物を除いて、キネヤ製のリールが何台かと岩手県産のグラファイトロッドが2本、それにランディングネットが3本。
“That's all.”
自分の持っているタックルを振り返れば、そのほとんどすべてがこの国以外で作られたものだったことに今更ながら愕然とします。フライフィッシングをなされる方の大半は、おそらく私と似たような状況にあるのではないでしょうか。

海外メーカー崇拝思想に毒されている?

それもあるかもしれません。
しかし、海外製品だからといって無条件に崇拝しているわけではありません。たとえ本場といわれる国で作られたモノのなかにもろくでもないのが多々あるのは事実です。

もっと本質的な問題は、フライフィシングに関するものだけではなく、この国で作られるものには最低限の生活必需品以外、欲しいという欲望や渇望を起こさせる魅力をもつものが少ないということではないでしょうか。
プリミティブな必然性のない遊びの道具、それゆえ欲情しないものには金を払う意味がない、惚れられないものは欲しくない、そういうことではないのでしょうか。

フライと同じ頃この国に入ってきたルアーの世界では、デザインや機能、そのすべてにおいて国内メーカーがワールドワイドな視点で見ても傑出した物を作り出しています。
最大の理由は市場規模が大きかったゆえに、ダイワ、シマノの2大メーカーが本気で製品を開発投入したからに間違いないと思います。また、それに引きずられるように周辺メーカーのレベルも信じられないぐらい高まったからでしょう。
効率が最優先される釣りとして最先端の道具が必要とされ続けてきたことがその進化を加速させたともいえます。
ただ、この異常ともいえるルアーフィッシングの短期間の発展にはブラックバスという魚の存在が非常に大きなファクターとなっていました。その牽引力であったブラックバスを利用し、見捨てた釣り具業界の罪は今更あげつらうにも不愉快さが募りますが、ここでは論じないでおきます。

フライフィッシングにおいては、機能的な進化は微々たるものでしかなく、ソルトウォーターなど一部のアバンギャルドな部分を除き100年前の道具がそのまま使えてしまうような状況が続いています。
渓流では古いレナードやF.E.トーマスのロッドを使っても最新のSAGEを使う釣り人となんら遜色のない釣りが可能です。それは、この釣りをする人の多くが効率というものをあえて無視していることが原因だというだけでは説明できない現象です。
そこには最新型の機能を満載したからといってそれが所有欲や購買意欲に直結しないという問題があります。

ドメスティックブランドに今ひとつ魅力を感じられないのは、
マスプロダクトは、最初から廉価版の地位に甘んじようとしていた。
高価格品も先生と弟子といったウエットな感情を引きずったかなり特殊な偏った仕様に特化していた。
ハンドメイドを謳った製品は、百貨店の催し場で開催される手作り100人展、日本の職人50選 ・・・などと同じような胡散臭さを感じる。
国内のバンブーロッドビルダーが制作した竿の中には、制作者の意図なのか技術の無さなのかは判断できないのですが、見た目は綺麗なのに使ってみると私にとっては一気に魅力が失せる竿が多かった。
そしてそれ以上に問題なのは、フライ関係のマスコミが様々な事情から海外で製作された物ばかりを取り上げ意識的であれ無自覚的であれ賞賛するので、私をはじめ、ほとんどの読者が意識しないうちに洗脳されているのではないかと推測されることです。
針や糸において、世界最高レベルの製品を作ることは既に実現しているのだから、フライフィッシングに用いる竿やリールでもそれを可能にする潜在力はこの国にもあるに違いない。
しかし現状はいまだ惨憺たるありさまです。

で、どうしたらいいのか?
と考えなければただの愚痴に終わってしまいます。

先代からのフライタックルメーカーなんて、ほとんど考えられないわけで、いまフライ関係のグッズに関わっている人はみんな自分が望んでこの世界に関わってきたのだと思います。なのに、なぜ未だに外国製は一流、日本製は二流以下という状況なのでしょうか?
ひとことで片づけてしまえば、
こころざしが低い。
ただそれだけだと思います。
制作者サイドに、たとえ狭いジャンルであれワールドワイドな市場や需要を視野に入れた上で最高の道具を創り出したいという意志が本当にあるのか?
このことが問われているような気がします。

フライフィッシングに用いる道具には非常にアーティスティックで曖昧な要素がひそんでいるので、その意味でフライフィシングのタックルには楽器やオーディオ、カメラや時計といったものにどこか通じる部分を感じます。
あまりにも曖昧なものゆえ、明確な用途目的を自覚して製作されたもの以外は、開発ターゲットが絞れずどこか妙で無意味なものばかりが作られ続け、いずれは流れのよどみに沈んだかのように忘れられていくのではないでしょうか。
では、本当に必要とされる機能と美しい外見を兼ね備えたフライフィシングタックルをいまのこの国では生産できないのでしょうか?
それは制作者サイドの資質の向上と意識の進化、開発ターゲットを明確に見据えることにより可能になるはずです。


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